50年後、2000年代の日本はどのように書かれるのだろう

決断主義について頭を整理しようと思っていろいろ調べていたところ、そういえば田中秀臣先生が鋭い事を言っていたなと思い出しました。
宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓リフの過疎日記

http://d.hatena.ne.jp/bunsekijakusha/20090721/1248164371

宇野某 「パンがなければ、『デスノート』とかを読んで決断主義を身につければいいじゃない」
経済学をかじった人々 「その前提からその結論はおかしいだろ」

とまあ、それはきわめてまっとうな指摘だと思います。
(中略)
その成長率を実現するための方途が解ってしまえば、かえって現状に絶望しきる人が出てくるのではないでしょうか。
だって、日本の中央銀行やその周辺の人々のやっていること、主張していることを知ったら、とても正気じゃいられませんよ。
(中略)
それに与謝野なにがしさんが「政策通」とかマスコミにもてはやされているということがいかに異常な事態であるかに気づいたら、ゼロ年代をサバイブしている人々は、とても哀しくなるでしょう。

ちょっと前の記事ですけど、私がふと思ったのは、50年後、1990年代後半から2010年にかけての日本の経済、社会、思想的状況は、現在を知らない人々によってどのように書かれるのでしょうね。
かつて、昭和恐慌の原因となった旧平価による金解禁を行った逆噴射蔵相井上準之助も、当時の日本が外債を抱えていて、新平価(=円安)で金解禁を行うと債務の返済ができなくなっちゃうかもしれないと恐れた結果、やらかしちゃったわけです。そういう意味で、彼の判断は誤りではあったけれど、なぜそういう判断をしてしまったのかということは説明がつくし、後世に対する教訓にもなった。*1
そして、関東大震災昭和金融恐慌、昭和初期の冷害による凶作、世界大恐慌などの連続して起きた様々な社会的混乱経済的苦境が、人々の心理に小さくない影響を与え、太平洋戦争に踏み切る際の判断にバイアスを与えたというのは確かにあるのです。
では、仮に後世の人々が今の日本をどのように分析しどう書くのだろうと考えたんだけど、おそらく書けないんじゃないだろうかと思うのです。
id:bunsekijakushaさんが言う通り「日本の中央銀行やその周辺の人々のやっていること、主張していることを知ったら、とても正気じゃいられませんよ。」「与謝野なにがしさんが「政策通」とかマスコミにもてはやされているということがいかに異常な事態であるかに気づいたら、ゼロ年代をサバイブしている人々は、とても哀しくなるでしょう。」つーことなわけで、そもそも同時代を生きている我々から見てもよく分からないのに、同時代を経験していない人が整理できるとも思えない。*2

*1:債務を過度に恐れて経済を犠牲にするような事はあってはならないということ。それは本末転倒、金の卵を産むガチョウを絞め殺すことに等しい。

*2:だって日銀理論、日銀文学が世界の標準的な経済学では理解不能で、物価判断の指数としてコアコアCPI(欧米基準で言うコアCPI、相場や天候で大きく動くエネルギーと生鮮食料品を除いた消費者物価指数)を使わない理由や、CPIの上方バイアスを無視する理由も分からんし。