異世界の聖機師物語を用いて決断主義をスライスする

異世界の聖機師物語のネタバレがあります。



00年代の「決断主義」とは、90年代の碇シンジを代表とする、外界は良く分からないものばかりで自分を傷つけようとする、かといって自分が動けば今度は誰かを傷つける、だから何もせずに引きこもるという、まあ言い方を変えれば、傷つきあわない範囲まで意識や他者との関係性を縮退させてしまうという90年代セカイ系へのアンチテーゼとして、引きこもっていては何も解決せず外界に殺されてしまうから、分からなくとも何かの価値観を「決断する」あるいは「決断しなければならない」という思想なんだそうで、特に「殺されないように生き残る」という点をもって「サヴァイヴ感覚」なんて言ったりもするそうです。
でも、そもそも「コードギアス」のルルーシュや「DEATH NOTE」の夜神月を典型的な決断主義者として提示するのはどうなんでしょう?
むしろ私たちの立ち位置はルルーシュやライトよりダグマイアに近いのです。
なぜなら私たちにはギアスも無ければデスノートも無いのであり、「異世界〜」のダグマイアは剣士に、体力でも(7話)戦闘技術でも(8話)劣っている事を理解したうえで、それでも自身の才覚をもって出来る限りの準備を整えている。
ダグマイアが脱却を望んでいる秩序とは、いわば我々がある種望むユートピア。黙っていても美味い物が食えて贅沢できて、仕事はする必要なくて女の子が股を開いてくれるという、アゴ足枕に夜伽付き*1という男性聖機師の境遇なんですね。
ただし、その代償として男性聖機師には退役するまで結婚の自由が無い。
そしてこれは男性聖機師だけではなく女性聖機師にとっても地獄。なぜなら好きでもない男と寝て子供を産まなければならないのだから。物語序盤で、剣士はそのような境遇をどう思うかと訪ね歩いたけれど、得られる答えは「それによって戦いが少しでも減らせるなら」だった。作中では王侯貴族と聖機師見習いは聖地学院で学ばねばならないことになっているのですが、単純に仲良くなれば争いも減るというだけではなく、見知らぬ聖機師と寝るより顔くらいは知っている相手の方がよいだろうという配慮があるんでしょうね。
彼女らの言う「それで戦いが少しでも減らせるなら」という言葉は「決断」です。好きでも無い相手の子供を産まざるを得ないなんて、いわば国家による強姦でしょう。作品は全体として明るいのに、描かれる世界はやたら殺伐としている。

物語が描けなかった事

物語はこの構図に解決を出さずに終わっています。
ダグマイアの蜂起は失敗しましたが、それは単に秩序が元に戻ったというだけで何一つ解決できていない。
一見ハッピーエンドに終わっていながら、実は全く解決になっていないというのは、これもまた皮肉と言えるでしょうね。

*1:文章にしてみると今のオタクの立場に近くて絶望した。しかも選択の自由こそ無いが黙っていても女の子をあてがってくれるなんてものすごい皮肉だ。
ダグマイアが「寝た」のが釘宮理恵声で16歳のランではなく、その母親で38歳のコルディネというあたり、皮肉が少々利き過ぎているかもしれん。原作者の梶島氏が年増好きというのもあるだろうけど。