専業化は効率化の為(起業をするのは何の為?その1)

冷戦時代、1950年代後半から中国では西側先進諸国に追いつくべく、毛沢東主席の指揮のもと大躍進政策ってのを始めた。
まあ、戦略家・革命家としては天才的だった毛沢東も農工商といった実務的才能には恵まれなかったと見えて、世紀の大失策をやらかしたんだけどね。
例えばスズメが籾を食べるというのでスズメは害鳥だと駆除したら害虫が大量発生して大凶作だとか、米の収量を増やすには苗を密に植えればよいと実行したら稲が蒸れてしまう(稲が高温になると分けつ、籾ができず株ばかり増える)ので手回し送風機や竹ざおで四六時中しごいて風を送り冷やさなくてはならなくなったとか、とにかくろくなことにならなかった。
で、その失策の一つに土法高炉ってのがあった。
日本でも八幡製鐵所が歴史的事業として教科書に載っているように、近代国家において鉄の生産は全ての産業の基幹となる最重要課題の一つ。中国では当時、鉄が全く不足していた。そこで伝統的な小型高炉(土法高炉)を星の数ほどつくり、人民の力で鉄を量産しよう、品質では近代高炉に敵わなくても農具や生活用品にあてる程度なら何とかなるだろうと、毛沢東の一声で土法高炉運動が始められたわけだ。
ところが、古代より製鉄というのは文明の発達度の指標となるくらい難しいもので、日本でもタタラ師や鉄師といった専門職がそれにあたっていた。
適切な技術指導も無く始められた土法高炉は農具にもならない泥のような鉄しか生産できず、しかも数値目標を達成すべく貴重な農具や鍋釜まで炉に投入する始末。鉄鉱石や石炭の運搬のために鉄道インフラが圧迫され物流は滞り、不足する燃料を調達する為に森林は伐採され山は禿山になってしまった。
その結果、中国を猛烈な飢饉が襲い、大躍進政策全体で2千万とも5千万ともいわれる人命が失われたという。
ちなみに、日本の「進歩的な」学者は、人民が力を揃えて行なうのだからきっと上手く行く、情熱は量を質に転換させるなどと礼賛していたのだが。


さて、前置きが長くなったが、職種を専業化するというのはひとえに効率化のためなのだ。
…疲れたので残りは後日に。