麻生内閣の支持率が低下する理由について(生贄の羊はなぜ求められるか論)

麻生内閣の支持率が低い理由としてマスコミのバッシングだけではなく、経済状況の悪さや閉塞感を誰かの責任に押し付けたいという無意識的欲求があるのではないかと考えている。フレイザー金枝篇にて、力を失った王は殺され力を持つ者が新王になるという定型が多くの神話や伝承に共通して見られることを指摘しており、確か、王の力は世界と等質のもので、王の力の衰えは世界の危機を、世界の危機は王の力の衰えを示す、といった話だったと記憶している。


で、現在は世界的不況のさなか、「世界ヤバイ」という状況下なので、麻生総理がどれだけ画期的な政策を打ち出しても支持率は上がらないのです。
なぜなら、ポストが赤いのも電柱が高いのも全て麻生のせいだという一種の呪いにとらわれており合理的思考が働かなくなっているから(麻生を引き摺り下ろせという空気が醸成されている)。誰でもいいが麻生だけはダメだ的な発言はその典型で、政策を評価するという基準が存在しない。
こういう状況で、我々はこういう視点でこのような政策を打ちますと理屈で説明しても「うるさい、うるさい、うるさーーーい」となるだけ。


つまり、国民は生贄を要求しているのです。


ではなぜ王=麻生氏なのかと考えた時、王=小泉氏の後継であると見なすことができるわけ。
政治に対する活力という視点で考えると、安倍氏も福田氏も能力という点は別として王という器ではなかった、線の細いところがあったために、誰もが前王である小泉氏の幻影と見ていたのです。つまり、輝かしい小泉氏に対して影でしかなかった。当主不在の家を守る執事のようなもの。
それに対し、麻生氏は小泉氏に近いイメージの持ち主、政治家の家系という出自、政治に対する活力、皮肉っぽさが漂う表情も似通っている。


私にいわせれば、麻生内閣の政策に対する批判は全てレトロスペクティブだということ。なぜなら政策には常に光と影があり、影だけを取り出せばどんな政策だろうと愚策になる。政策を分析して否定するのではなく、政権を否定するために、否定の理由付けとして政策を分析している。



ところで、1月29日の代表質問で、田中真紀子氏が小沢民主党代表に代わり代表質問に立ったのは、小沢代表はアドリブに極端に弱いところがあるためだと私は考えている。