天地無用シリーズから物語を腑分けする 〜 幕間

さて、私がこうやってハーレム系作品について考えようと思ったのは「異世界の聖機師物語」を見て、これってやっぱり他のアニメとは雰囲気が異質だなあと思ったからなんですよ。
この作品、内容に触れない範囲で感想を言うと、今風で言うならば「頭の悪い」作品だと思うのです。これって最大限の褒め言葉で、今の「おりこうさんな」「こまっしゃくれた」「小賢しい」アニメと違い、登場人物の行動には無理が無いし、設定等が分からなくてもすんなりと物語に入れるし。ちなみにお色気成分は過剰なんですけど、それもカラリとしていて、いわばお色気コントみたいな感じでいやらしさが無いんですね。
興味の湧いた方はぜひともご覧になってください。レンタルで、できればDVDを買ってね、高いけど。

異世界の聖機師物語 1 [DVD]

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異世界の聖機師物語ってどんな話?

まあ典型的梶島ワールドといいますか、「天地無用!魎皇鬼」の主人公である天地の異母弟にあたる柾木剣士が異世界ジェミナーに飛ばされ、そこで戦ったりハーレム状態になったりするという、まあそういう典型的なお話なのです。
「聖機師(せいきし)」というのはこのジュミナーにおける人型兵器である「聖機人(せいきじん)」を操ることのできる能力を持つ人のことです。ジェミナーでは「亞法(あほう)」と呼ばれる技術によってエネルギーを得ているのですが、亞法によってエネルギーを取り出す際には亞法波と呼ばれる振動波が発生し、これを浴びると亞法酔いという乗り物酔いになったような状態になるのです。そのためエネルギージェネレーターである亞法結界炉はエアバイク等に使われるようなごく小規模のものを除けば、人が普段立ち入らない場所に隔離されているのです。
ゆえに大出力の亞法結界炉を持つ聖機人に乗らねばならない聖機師は亞法酔いに強い体質が求められるのですが、国家が所有する聖機人の数は「教会」によって管理されていて勝手に数を増やす事ができないのです(ちなみに個人の持つ亞法特性によって機体形状が変わるため、特に細工をしなければ機体で操縦者を判断でき、更に強さも大体分かるのです)。
そのため数を増やせないなら操縦者の質を上げるしかないと、サラブレッドのように聖機師同士の交配が行われた結果、近親結婚が進み男性聖機師が生まれにくくなり、こうなると男性聖機師は一層貴重となって危ない事は何もさせてはならないと特別待遇と引き換えに箱入り娘(息子)状態になり、戦うのは数が多い女性聖機師ということになるのです。
以下ネタバレ。



異世界に召還された剣士は元の世界への帰還を条件に、戴冠式を終えたばかりのシトレイユ皇国ラシャラ・アース二十八世の命を狙うことになりますが暗殺は失敗、男性聖機師は貴重で商品価値があるということで、ラシャラ姫の従者となることを強要されます。剣士はラシャラと共に聖地学院に向かい、学院でアルバイトをしたり学んだり女学生と親しくなったりと忙しくも平和な日々を送ります。
そのような中、剣士の級友で男性聖機師の一人である少年ダグマイア・メストは、かごの鳥で活躍の場が無い男性聖機師の境遇に不満をもっているらしく、また彼の父親であるババルン・メストは姫皇ラシャラを尻目にシトレイユ皇国の宰相となり、なにやら不穏な動きをしている様子。
ある日、聖地学院をババルンの移動要塞が強襲。ダグマイアも官にありつけず身を持ち崩した(何しろ聖機人の数は決まっていますから能力が低いと仕官できないのです。)山賊聖機師や浪人(=無職の聖機師)を集め蜂起し、その結果剣士たちは仲間とはぐれちりじりになってしまいます。
国を簒奪されたラシャラと共に剣士は友好のあるシュリフォン国やハヴォニワ国を頼るのですが、果たしてババルンを倒し聖地奪還はなるかといったところ。
で、この作品について某所では、「ステルス神アニメ」とか「驚くほどの安定感」とか「緊張感の無い戦闘」なんて言われていますけど、その理由として、剣士が敵に比べ飛びぬけて強いというところもあるのですけど、それ以上にキャラの意志や立ち位置がしっかりしていてぶれないってことがあると思うんです。

決断主義の裏側

エヴァンゲリオン以降の一時期、戦うことについてやたら悩んだり嫌がったり自分はパイロットじゃないなんて言っちゃう子が増えたと思えば、今度は決断主義者といいますか、戦いや犠牲を決意することの過度の強調が行われたりと、両極端に振れてるように思えるんですね。
ところがこの作品、苦しんだり悩んだりするのは主に敵側であるダグマイアの役割で、彼は幼馴染みの女性聖機師であるキャイアに力で及ばない事を自嘲したり、剣士にボロボロにされながらも幾度となく戦いを挑んだり、亞法波耐性は生まれつきの体質で決まってしまうと言う叔父のユライトに反論したりと、自分の力不足を苦しみ、最後は負けを覚悟で剣士に一騎打ちを望むのです(男を見せた!)。
こういう姿を見て思うのは、ダグマイアって力不足の決断主義だってことなんです。
実際彼は山賊を味方につけるために山賊の頭領である女聖機師と寝るなんて事もしているのです(男性聖機師との間に子供が生まれれば強い聖機師になる可能性がある。)。これって非常に決断主義的というか、彼は自分が取引できる材料が子種しかないことを理解した上で、歳が2倍以上も違う女とも寝ている。
彼は自身を犠牲にし努力をし目的を達する事を望みながらも目的に届かなかった。
彼は自分を戦う聖機師として認めてもらいたい、子種を提供するだけの種馬ではなく男として立ちたいと思っていたみたいで、叔父のユライトからも、父親の後を継ぐ(=統治者になる)より聖機師になりたいのですねと慰めに似た言葉を掛けられているのです。
そして、彼は自分で自分の理想を主張することは一度も無く、唯一キャイアに男性聖機師は結婚の自由もないと吐露する場面のみ。
こういう視点でダグマイアを見た時、彼の悲しさは強くないということ。他の決断主義者のようにタナボタ的異能力を持たずに「決断」し、更に自分の力がそれ程大したものでないという事まで自覚しているということ。何しろ彼の従者である女性聖機師のエメラよりも弱いのですから。
制作者サイドがどのような意図を持っていたのか分かりませんけど、ダグマイアって決断主義に対するカリカチュアに見えてならないのですね。
彼は武力蜂起決行の朝「我々が勝利者となる朝だ」と言いますが、これが「DEATH NOTE」で夜神月が言う「俺は新世界の神になる」を思わせるあたり、皮肉が利いています。
これと同様の構図は最終話にもあって、剣士が皆の力を結集して作り上げた天地剣、これをもって絶対兵器「ガイア」に立ち向かうのだけど全く歯が立たない。キャイア達が決死の覚悟で亞法結界炉を暴走させ爆発に巻き込んでもガイアは無傷。これって、どんなに思いの力を込めたって歯が立たないものは立たないのよと、思いの力をやたら持ち上げる作品に対するアンチテーゼにも見えるのです。では何がガイアを倒したかというのは見てのお楽しみということで。

決断したけどどうにもなりませんでした

現実においても、1990年代末から2000年代初めにかけて、そしてリーマンショック以降の世界不況において「決断したけどどうにもなりませんでした」という状況が多く見られたわけですが、この作品ってなんとなくそういう構図が見て取れるのです。