外への接続、なぜ彼らは外に出られないのか

再構成 〜 主人公であること、ヒーローであること 補論 - WATERMANの外部記憶の続きです。
ドラゴンボールに限らず少年マンガの中には、箱庭から脱出できる機会があるのにあえてその機会を潰して一層箱庭の中でのルール構築に精を出す、という作品が少なくありません。
ドラゴンボールはピッコロ大魔王によって神龍を殺され、初めて人の生と死に向き合う機会を得ながら、あっさりと神龍の復活という形でふいにしてしまいました。*1
グラップラー刃牙は「地上最強の生物」範馬勇次郎が一人の女である刃牙の母・江珠を殺しますが、見方を変えるならば「最強の生物」が「たかが女」である江珠を、箱庭に閉じこもり続けるために殺したという詰まらない話でしかないのです。
なぜ彼らはそこまで箱庭に固執するのでしょうか。箱庭を脱出することをなぜそこまで拒否するのでしょう。

この問いに対する答えは比較的容易です。
彼らの箱庭の外では彼らのルールが通用しないからです。

彼らは幾人もの猛者と戦い続けますが、彼らは基本的に彼らのルールに乗ってくれる相手としか戦いません。
ドラゴンボールにおいて、正々堂々と勝負しようぜと言う悟空達の流儀に乗らない相手…魔人ブウが現れた時、魔人ブウが地球なんて壊れたって構わないという行動を取ろうとした時、地球の上で戦う、地球を壊したりしないという「ルール」に敵も従うものと思い込んでいた悟空はなす術なくうろたえることになりました。
ドラゴンボールはまだこのように、悟空達の戦いが持つ本質的な欠陥を作品自らが批判し、ミスターサタンという悟空達(TV流に言うならZ戦士達)と一般人の間を繋ぐキャラを出すことでバランスを取った形で終わることになりました。
それに対しグラップラー刃牙は…、初期のころにあった一種の批判精神、ライフルを持った人間に狙撃されれば「地上最強の生物」範馬勇次郎も敗北する可能性があるのだと*2いう相対視の精神を完全に失っているようです。
これはまさに、作者自身が自分で設定した箱庭が壊れることをおそれ、ひたすらに作品内で「最強」の石積みを行っているに他なりません。何かを成すために強くなるのではなく、ただひたすら箱庭の壁を高くするためだけに強くなるというむなしさ。

*1:これは作者の鳥山明氏自身が、ドラゴンボールという作品をそれ程長く続けるつもりがなかったためと思われます。つまりピッコロ大魔王によって殺されたクリリン亀仙人といった愛すべきキャラクター達を、死なせたまま作品を終わらせたくはなかったからでしょう。

*2:このエピソードは刃牙という作品に心酔しきっている人からすると唾棄すべきエピソードのようです。殊更「最強」を求めるのも2000年代に入ってから見られる傾向のようです。