ルール化された戦いとは何か 〜 主人公であること、ヒーローであること 補論

さて、前回はかなり急いで書いたので、最後がかなり雑駁なまとめになってしまいました。もう少し「ルール化された戦い」という視点で考察してみたいと思います。

「ルール化された戦い」とは

既に私が以前から触れていますけれども、少年ジャンプ連載のバトルマンガの特徴的なスタイルの一つが競技会や武闘会、いわゆるジャンプ型試合主義というものです。
例えばドラゴンボールであれば天下一武闘会キン肉マンであれば超人オリンピック、男塾も武闘会ですし、聖闘士星矢も拠点ごとに敵が待ち受けているという一種の武闘会的なスタイルを取っています。これら以外にも、幽遊白書にしろ遊戯王にしろ、ジャンプ型試合主義がどこかしらかに組み込まれているので、むしろこのようなスタイルを取らないバトルマンガは珍しい…というか殆ど無いのではないかと思います。
では、このジャンプ型試合主義の特徴とは何かというと、…そうドラゴンボール魔人ブウが地球を破壊しようとした際に悟空が「オレたちと戦うんだろっ」とうろたえたことからも分かるように、登場キャラたちは何らかのルールに則って戦うという暗黙の了解、あるいは前提があるということです。
はて?これって何かに似てる…、つまり「試合」なんです。
もちろん彼らは戦いの中で傷つき、血を流し、場合によっては命をも落とします。
ですが、奇しくもドラゴンボールが描いたように

「だいじょうぶ 心配すんなって あいつはここまでこれやしねえ なんか作戦を考えるさ その間犠牲になった宇宙人には悪いんだが、あとでドラゴンボールで・・・な」*1

ドラゴンボールほど意図的でないにしろ、聖闘士星矢キン肉マンには戦いに倒れた仲間が復活してくるというエピソードがザラにありますし、男塾において王大人(ワンターレン)に「死亡確認」されたキャラは生きているということはギャグにされた程。
これって、つまり死なない戦いをやっているということです。これが試合でないとしたら何だというのでしょう。

ジャンプマンガでヒロインの影が薄い理由

上記のように、ジャンプマンガのバトルはつまり試合なのだと考えた時、なぜヒロインの影が薄いのかも説明がつくのです。
tyokorataさんは次のように考察しておられますけど

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100601/1275343113
最近では少年漫画にも戦うヒロインも登場はしていますが、それにしても闘う男の側の価値観に合わせているだけで、男と異なったメンタルや価値観を前面に出していない点で、基本的には女の外観をした男キャラクターに過ぎません。
 特に少年ジャンプの漫画である『ストーンオーシャン』で空条ジョリーンが、汚物がついたパンを「体力を消耗してはならない! むしろ力をつけてやる!」と言いながら食べるシーンを見ていると、そうした思いを強くします。

私の意見ならばこうです。
「ヒロインが出張るのは試合主義のレギュレーション違反だから」
例えば、サンデーマンガの「うしおととら」や「GS美神 極楽大作戦」、同じ椎名高志氏の「絶対可憐チルドレン」を見ても、女性は男性と同等、場合によっては男性以上に勇敢に戦いますし、長谷川裕一氏の「マップス」「ダイ・ソード」「クロノアイズ」…どれもヒロインが物語の片翼を担う重要なキャラクターです。*2ジャンプマンガで言うならば、例えば「ダイの大冒険」や「バスタード」も、ヒロインが戦う作品と言えるでしょう。
もちろん、これらの作品に登場する「戦うヒロインたち」*3は、前述のジョリーンのように、男の側の価値観に合わせたりはしません。*4あくまで女性の立場で「戦い」を担うのです。*5
こうやって作品を列挙してみると、ヒロインが出張る作品と影の薄い作品の特徴が見えてきます。
すなわち、ヒロインが出張る作品というのは、より実戦的なバトルを展開する作品であり、ヒロインの影が薄い作品というのは、例えばスポーツマンガが代表的ですが、より試合に近いバトルを行う作品だということです。

更に踏み込んで考えてみましょう。上記tyokorataさんのエントリにある以下の点について。

年がら年中戦ってばかりいる少年漫画の世界において、その闘いそのものを「バカみたい」と一言で切り捨てられる事に対して、読者や登場人物は耐えきれないため、ヒロインは自動的にスポイルされることになるのです。

なぜ「バカみたい」と切って捨てられることについて「耐えられない」のか。
逆説的に言えば、彼らの戦いが「バカみたい」どころかヒロインの視点から見たときに明らかに「バカ」であり、その「バカさ」を否定できないからです。
非常に古典的な解釈になりますが、女性は守り育てる性であり、本能的に戦いを忌避すると言われます。女性がおしゃべり好きでコミュニケーション能力に長け、上下関係よりも並列的な関係を結ぶのも、子供を育てるために戦いを避けることが生存上有利であったためと言われます。
このような女性的視点から見たとき、夢やヒロイズム、尊厳、信念といったものに殉じ、それらを守るための戦いに命まで投じようとする男の様は、女性にとっては時に不可解なものに映るでしょう。
…時間である。
そもそもスポーツマンガ(野球マンガやサッカーマンガ)で女性が参戦しないのは性別レギュレーションがあるからですが、それ以上にヒロインの意思で登場キャラクターの戦意が揺らいでしまっては困る…、なにより彼らは試合のルールに従い指導者に従って疑問を持たずに戦わなければならないからです。
おっと時間だ。

*1:ドラゴンボールの単行本が手元にないのでtyokorataさんのブログから写させて頂きました。

*2:マップスで最強と言ったら幽霊船の長女ラドウと龍の末裔ダード・ライ・ラグンの2大巨頭ですし、先に書きましたが、同じ作られし者であるラドウとリプミラの差異・確執が物語のキーになっています。

*3:「戦闘美少女」とでも呼ぶのでしょうか?しかしながら、戦闘美少女というとエヴァンゲリオン綾波レイのようなキャラクターのイメージがあります。

*4:例えば「マップス」のリプラドウはリプミラに対し「カリオンを奪った憎い女」「ガタリオン様は私を愛して下さっている」と女の情念丸出しの台詞を吐きますし、また「うしおととら」では、ヒロインたちは獣の槍に魂を食われた潮を人に戻すために潮の髪をくしけずる…潮の魂を現世に引き止めるという役を担い、また「お役目様」として白面の者を封じ込める重責を果たします。

*5:もちろん前線で戦う力を持つ女性は前線で戦うのです。「ダイの大冒険」のマァムやレオナ、「バスタード」のアーシェス・ネイのように。