「ヱヴァ:破」感想、旧作の完成度の高さに戦慄が走ったがゆえに

http://d.hatena.ne.jp/KGV/20090707/
2009-07-09
重要なのは、画面の外で鑑賞している我々は、旧エヴァンゲリオンの存在とその終局を知っているが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版の中のシンジ君達は旧エヴァの存在を知らないということなんだよね。
どうも、この点をごっちゃにしている人が多いようだ。
つまり、ヱヴァの中のキャラも旧作の存在を知っているはずだと無意識に投影しているような感じがあるわけ。
だからこそ、こんなのエヴァじゃないと思ってしまうんじゃないだろうか。
ヱヴァ批評をチェックすると「フラグ回避」なんて言葉も目にするんだけど、これも、EOE(The End of Evangelion)へ続く「フラグ」というものが存在するという前提が無いと出てこない話であって、ヱヴァのシンジ君達はそんなフラグなんて知らないのだから、回避も何もないわけだ。


こんなことを思ったのも↓この動画を見つけたからなんだよね。
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つまり、庵野監督は12年前にきちんと物語を終わらせていたんだってこと。私自身、何となく分かったってレベルで追求を止めたんで、ここまで詳しく説明されるともう脱帽せざるを得ないというか、庵野監督がずっと、あれ以上のものは作れない、エヴァは終わったんだと言い続けてきたのが、ようやく納得いったわけだ。


で、上記のブログで外しているのが一点、旧作4話、シンジがレイに「笑えばいいと思うよ」と声を掛けるシーンについて、あれ、当時から散々言われているんですけど、レイはシンジにゲンドウの姿を重ねた上で笑みと言えないような笑みを浮かべたのであって、シンジに対して心からの笑みを浮べたわけでは無いのですね。
あの笑みはむしろシンジとレイの間の溝を示しているんです。
だからこそ、旧作においてレイは笑みを浮べた後も変わらなかった。当然です。だって笑っていないんだから。


で、更に言及すると、シンジ君の「そんなの関係ないっていってるでしょー」のシーンが小島よしおだってのはその通りなんでしょうけど(だって庵野監督って、トップをねらえ!ガメラ炎とか特撮小道具仕込んだりマシーン兵器で往復ビンタかますような人ですよ)、それは別に笑わせるために仕込んだというより、演出は壊さず気が付く人だけ気が付けばいいってスタンスでしょうからね(むしろあのシーンで小島よしおだって指摘する人の方がひねくれているというか)。


もう一つ重要な点。
なぜオタはアートアニメを見ると脳内ファンファーレが鳴りますか? - きみにとどけてれぱしー
日常パートがすべってる?別にどこもすべってないじゃん、ということ。