農業に未来があるなんて誰が言った?

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20091031/1256983993
建設業がダメだとしたら「より生産性の高い産業」*1へのシフトが必要とされるわけで、「より生産性の低い産業」である農業へ逆戻りするというのはまるであべこべじゃないか。
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20091031/1256970843

http://d.hatena.ne.jp/anhedonia/20091030/p1
http://d.hatena.ne.jp/anhedonia/20091027/p2
その建設会社は、耕作放棄地を借りて農業を始めようとしたのだが、当然ながら、後からやってきた人には、条件の悪い物件しかない。まして、中山間地の耕作放棄地なんて条件が良いわけがない。
それに加えて、企業が農業に参入するには、“人件費”という圧倒的に不利な条件がある。家族経営ならば、時給200円でも良いだろうが(いや、良くはないが)、人を雇用する企業では、それは許されない。

私は楽天ブログでも少々書いていた事があったのだけど、そこで書いた記事がこれ↓

農業が行き詰まる原因という話 | 仮置き場 - 楽天ブログ
第一則「一定の経済成長が望める状態において、農業の地位は必然的に低下する」ということです。
更に、第二則「ある条件下で特定産業の効率化が極値に達していた場合、産業構造全体の変化は大抵の場合、その産業の衰退を意味する」ということです。

当時はまだ経済学について良く知っていたわけでは無いのですけど、それ程外していないな、と。
よく、これからは新興国との食料争奪合戦が起こる、食料自給率を上げなければならないという主張がされますけど、生産に投入可能なコストと生産量の均衡点で土地の利用の限界点は決まってしまうのであり、それを歪めるということはすなわち産業構造を歪めることでもあるわけです。


日本の農業生産モデルが改革されない理由って、実のところこれが現時点でもっとも生産効率が高いモデル(なにしろ労働力は家族なんだから投入コストのうち、人件費に当る部分が圧倒的に安い)ってことなんでしょう。
で、それですら続かない、離農が後を絶たないモデルなんだからどうやっても上手く行くわけが無い。
既に「詰んでる」んです。
そういえば、新しい農業として紹介されるパターンは次の三つしかないですね。
1.流通経路を見直しより高値*1最終消費者まで届かせる方法。個人に売るだけではなくて、大手チェーンが卸を通さず直接買い付けるのもこのパターンです。
2.生産物の高付加価値化。さらに1と組み合わせることで生産量より品質と価格で勝負するやり方です。
3.いわゆる野菜工場。キノコ類では古くから行われていることですが、それでも他の野菜にまで拡大するのには時間がかかっています。土地の大きさや土の質を問わない代わり、設備投資の点で厳しいのでしょう。
結局のところ、バカ正直に昔ながらの土を耕すやり方ではうまく行かない。
上手く行かないから離農が起きるんですよね。コストと引き合わない農地から放棄されていく。


デビッド・リカードの資本蓄積モデルが何となく思い出されますが、経済学とは限られた投資で生産を最大化するための理論ではあっても、労働力の余剰をどうするかという理論ではないのですね。
ケインズ以降、不況下では金融政策によって凍り付いている投資を活性化させるとか、政府部門で吸収するとかそういう話ではあっても、非効率部門*2に無理やり労働者をねじ込むなんて不可能であることは明らか。
誰かが農業や林業はダメなんですと言わないといけないんだけど、鳩山内閣も何を考えているんだろうか。


こういう点で考えると、食料自給率の問題も所詮は国内問題、農林水産省の省益、農林利権でしかないということが分かる。
現状のやり方を維持したまま農業をどうにかできるならとっくの昔になんとかできているわけで、ぶっちゃけて言えば、農業権益を守るために経済合理性をどこまで犠牲にできるかって話なんだよね。
http://d.hatena.ne.jp/kmori58/20091013/p1

*1:追記:卸を通さないことで生産者にとっては高値で売れ、消費者にとっては安価で買えるというメリットがあります。デメリットは中間業者が食えなくなる、流通までコントロールできる大規模チェーン店には可能でも個人商店のような資本力の小さい業者には不可能。

*2:追記:ここで言う非効率というのは他産業に比べ非効率ということ。農業は家族経営で人件費の不当な(他産業に比べ不当な、ということ)圧縮が行われた上でも、特に小規模米農家は補助金を投入しなければ維持できない。効率化していないのではなく、効率化の限界に達しながらそれでも他産業とは比較劣位ということ。