鳩山内閣は経済成長ではなく国民生活の豊かさに力点を置くらしいよ

経済成長率に偏重せず、国民生活の豊さに力点をおいた経済を目指すってさ - くじらのねむる場所@はてなブログ
もちろん豊かさを測る指標は、GDPだけではありませんが、よく使われる指標であることも事実。鳩山総理のいう「豊さ」って何でしょうね?

しばらく前に買った「ドキュメント高校中退」を読んでから、経済より豊かさの実感だなんて話は、前にも増して形骸としか思えなくなりました。

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)

はっきり言って、ここで書かれている貧困の実態は、途上国よりマシ、アフリカよりマシといった問題ではない事が良く分かります。なぜならこのなかで書かれる貧困層というのは、いわば現代の棄民、国内の棄民であり、この世に生を受けてから、家庭に捨てられ、学校に捨てられ、社会に捨てられ、そして政治からも捨てられている。それに輪をかけて絶望的なのは、彼ら自身、誰からも期待されず、誰からも救いを得られず、そして無学*1ゆえに、自分達がなぜ苦しいのか、誰に救いを求めるべきなのかすら分からない、例えば保育所の連絡プリントを読めない、教育費減免の書類が書けないという人すらいるのです。
貧しい、貧困というのは、貧しくても心豊かな社会を目指すべきだとか、経済成長によって日本の良い心を失ってしまったとか、そういったお題目を全て踏みにじる悲惨なものなのです。「衣食足りて礼節を知る」とは良く言ったものです。
このような状況を放置するのは、まさに政治の犯罪と言ってもいい。
努力しろと言ったところで彼らには全く無意味です。なぜならば、ある家族は限界まで努力をしており、またある家族は努力の前の段階でつまづいている。底辺高を中退した人が働ける場所は限られており、殆どが日雇いやアルバイト、女性は水商売や性風俗という場合も少なくなく、努力したところで無駄だと思わせる状態に置かれているのです。


日本はそもそも、必要な層に社会保障が届いていないという問題を抱えているのですが、この本のなかでも、ギャンブル狂の夫と別れた女性が公営住宅を希望したものの何百人も待っている人がいると職員に断られたという話が出てきます。
彼女は必死に子どもに教育を受けさせようと努力しているのですが、社会保障の問題について、財源はどこだという言葉が彼女のような人を地獄に突き落としていく言葉であると自覚している人はどれだけいるでしょう。
日本の生活保障保護は必要な層の3割程度にしか届いていない*2という調査結果もありますが、再分配を見直すだけで果たして必要な費用を捻出できるものか。
経済が良くならない以上、生活に苦しむ層は増えこそすれ減りはしない。

*1:生易しいレベルではなく、ひらがなしか書けず漢字交じりの文章が読めない、九九がまともにできない、常識的な生活が営めないという絶望的なレベル

*2:これを捕捉率と言います。