ハーレム系作品における矛盾

さて、ハーレム系作品についてちょっとばかり考えてみた - WATERMANの外部記憶の続きです。
ハーレム系作品を特徴付ける要素として、基本的に主人公は特段特技や特徴を持たない少年ないしは青年であり、彼のもとに集まる女の子たちは彼の人柄に惹かれて集まるという点がほぼ定型化されています。*1 *2
まあ、これはある意味当たり前でして、主人公は視聴者や読者の分身であり、やたら奇抜な人物を設定すると作品への感情移入を阻害する原因になりますし*3、主人公が何か秀でた能力を持っていたり特殊な立場だったりすると、女の子が彼の何に魅力を感じたのかという点がボケてしまうためでもあります。

「普通の主人公」であるが故の違和感

ですが、ここでもやはり問題が生じます。
主人公の普通性を強調すればするほど、複数の女の子に好かれながら特定の誰かを決められないという状況を引っ張ることが不自然になってしまうわけです。
これについては、「ダメクライマックス/とくめー雑記(ハーレム万歳)」にてまた別の面での考察がされております。

20世紀末から21世紀初頭、ラブコメ漫画やアニメには、エロゲ・ギャルゲー的なサブヒロインが溢れかえることになる(とくめーが「95年のパラダイムシフト」と呼んでいる変化のひとつだ)。
しかし、漫画やアニメはマルチシナリオを許すメディアではない。ゲームのように全てのヒロインのエンドを作ることはできない。保守的な社会や編集部が、ハーレムエンドも許さない。
(中略)
もう1つのパターンは、古典的なバトルやシリアスと、キャラクター志向の強い萌えやコメディの、ハイブリッドで成り立っていた作品である。
(中略)
こういった作品の末期には、急に話の展開が重くなり、コメディや萌えは、それらを受け持っていたサブキャラクターともども、どこかへ消えてしまうという例が散見される。メインヒロインはまだしも、萌え要素を担っていたサブヒロインの凋落は見ていて涙ぐましい。

実のところ、この問題は主人公、そしてヒロイン達が「普通」であればあるほど大きな壁となって立ちはだかるのです。なぜなら「普通」であるということは彼らの常識はより現実の我々の常識と違わないものになるということであり、我々がおかしいと思うことは劇中の彼らもおかしいと思っているはず、少なくともそのように我々は受け取るからです。
ハーレム関係を納得のいく形で続けることは、とくめー氏が言うように「保守的な社会や編集部が、ハーレムエンドも許さない。」のではなく、そもそも物語として成立しない、成立した状態のまま終わりを迎えることを許さないのです。
・・・ただし、ある一部の例を除いては、ですが。

ハーレムを維持することに成功した作品、一部の例とは

上記リンク先にてとくめー氏がコメント欄で触れておりますが、「天地無用シリーズ」が元祖ハーレム系作品であり、そして数少ないハーレムを維持することに成功した作品でもあります。ですが、実はこの天地無用シリーズにおいても、いわゆる原作者梶島正樹氏が直接関与した「天地無用!魎皇鬼」を嚆矢とする「梶島天地」と呼ばれるものと、梶島氏が関わっていない、いわばスピンアウト作品である「長谷川天地」「ねぎし天地」と呼ばれるものがありまして、*4梶島天地とそれ以外、どちらもほぼ同じ要素、同じキャラクターを用いながら、ハーレム系作品として考えた場合、明確な違いがあるのです。

次回に続く。

*1:場合によっては何らかの特殊な能力や技術を持っていたりしますが、それが彼のコンプレックスのもとであったり周囲からのネガティブな評価の原因であったりします。

*2:2000年以降増えているのが家事くらいは当たり前にこなしてしまう「ハイスペック主人公」というものですが、もともとこれはハーレム状態を成立させるために主人公は両親と離れて暮らしているという設定にせねばならず、こうなると誰が家事をするのかという問題が出てきてしまうために、必然的に家事くらいはできるという設定が求められたためでしょう。仮に主人公の世話をかいがいしく焼いてくれるヒロインがいるとしたら、結局メインヒロインとそれ以外という三角関係型のパターンになってしまうためです。

*3:「主人公最強」と呼ばれるジャンルの二次創作小説がありますが、これはその名の通り超人的な能力を持つ主人公が並み居る敵や困難を鎧袖一触で打ち倒していくというものですが、よほど上手く書かれていない限り読めたものではありません。作中で主人公が活躍するほどに読んでいる我々が醒めてしまうのです。

*4:長谷川天地は主に小説版(真・天地無用およびGXPを除く)、ねぎし天地はTVアニメ版や劇場版。これらの区別は単純で、主人公天地の母親の名前が「清音」でありギャラクシーポリスの清音がいないのが梶島天地、母親が「阿知花」でギャラクシーポリスの清音がいるのがそれ以外です。