労働生産性は大事ではあるが

池田信夫 blog : 賃金を上げる最善の方法
これを読んで「なるほど!労働生産性を高めなければならないのだな」と思った人は池田センセイに騙されてます。
なぜなら当のテイラー教授の提示したグラフは全く持って当然、長期的には古典派経済学の理論が成立するということと同義だからです(賃金が実質賃金であることに注意)。
労働生産性の向上は1単位の生産物を作るのに必要な労働力、即ち労働者を減らすことになります。失業した労働者は別の財を生産することとなりますから、労働生産性が高まった分だけ市場の財の総量は増えるということになるわけです。それは即ち労働者一人あたりが受け取る財の量も増えるということになり、財の量が増える=賃金の額が増えるということなわけです。
つまり、生産性が上がれば生産される財も増え、財市場のボリュームが膨らめば一人当たり受け取れる財も増えますよということに過ぎず、いわば、セイの法則を長期的なスパンで観察したに過ぎないということです。*1


さて、私は別に構造改革を否定している訳ではありません。
構造改革イノベーションを喚起し日本の生産力を高めることに繋がるのであれば存分にやるべきであろうと思っています。
ですが、これ池田センセイが全く触れないことなんですけど、構造改革って成果が形になるまでの時間が読めないんですね。
半年とか1年でできる改革なのか、それとも5年10年掛かる改革なのか、更に10年かけて成長率が+1%じゃ意味が無いわけで、この辺の議論を逃げてるのが構造改革派なんです。
ケインズの有名な言葉「長期的には、我々は皆死んでいる」の通り、我々が死に尽くしたあとで成果が出ましたと言われても意味が無いわけです。
いわば、お腹が減って死にそうな人の前に食料の入った金庫がある。ただし鍵を紛失しているのでこじ開けなければならないのだが、こじ開けるのに必要な時間も分からないし食料がどれだけ入っているかも分からない。さて、金庫を開けるべきか、それとも他に食べ物を探しに行くべきかという話なのです。構造改革派とは、食べ物があることは確かなのだから金庫を開けるべきという派ですが、開けるのにどれくらい掛かるのかとか、開けた結果得られる食料の量はどれくらいかという議論はしないのですね。
日本の労働生産性が、特にサービス業の労働生産性が欧米に比べ著しく低いというのであれば、きちんとリサーチをしてどのような点で異なるのか検討するのがスジでしょう。


(追記)労働生産性を議論するために必要なデータが全く欠けているということです。
例えば、銀行窓口業務の利便性という点では日本の銀行の方がアメリカの銀行よりよほど機能的なのです。アメリカの銀行は日本ほど統廃合が進んでおらず、また銀行間のネットワークが整備されていない為に、口座取引をしようにもわざわざ小切手をやりとりしなければなりません。
と思ったら見つけてしまった。

拝啓FT様 サービス業の生産性について: R30::マーケティング社会時評
さらに細かく見ていけば、小売業の中でもっとも労働投入量の多いサブセクター、それは家族経営商店(全小売業の55%)である(こちらのデータ(PDF)の9ページ上の図参照)。僕の手元にあるデータによれば、家族経営商店の労働生産性は、ただでさえ低い国内の小売業の労働生産性平均に比べて、さらに40%も低い。要するに、地方のシャッター通りの商店街にある、商売をやってるのかやってないのかも分からないような無数のお店が、日本の第三次産業労働生産性を思いっきり引き下げてるってこった。

単純な話、あっても無くても構わないような個人商店がサービス業全体の足を引っ張っているということでした。
これこそ「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花」*2

*1:もちろん失業率が増大しない事が条件である事は言うまでもないでしょう

*2:尾花とはススキのことです