経済学を覆う闇、その2

さて、昨日の続きである。
経済学を覆う闇 - WATERMANの外部記憶


その後、明治以降も、過度に経済を軽視する傾向が強いように思われる。
例えばそれは太平洋戦争に至る経緯の評価にも見て取れる。
そもそも軍部の権力が拡大した背景には、昭和恐慌に対する経済的失策があったということが全く語られておらず、義務教育程度ではなぜ民衆が軍部を支持したのかが分からないようになっている。


1929年10月24日、ウォール街株式暴落(暗黒の木曜日、ブラックサースデー)に端を発する恐慌は瞬く間に世界中に広がった。
既に日本経済は、関東大震災昭和金融恐慌(1927年)により疲弊していたのだが、1930年に濱口雄幸首相と井上準之助大蔵大臣による金解禁がただでさえ疲弊していた日本経済に、いわば止めを刺した形となったのである。
金解禁というのは第一次世界大戦後の臨時措置として取られていた金と通貨の兌換を一時的に停止していたのを解禁するということなのだが、つまるところ国債為替レートを金を基準に固定化するということである。
濱口内閣では「金2分=1円=0.49875ドル」(Wikipediaによると)で金解禁を行ったのだが、これが猛烈な円高をもたらし、主力輸出品であった生糸の輸出を激減させ、まあ、とにかく日本中てんやわんやになったのである(これは金の価値を実体経済にあわせず、旧平価である金2分=1円を維持しようとしたためである。仮に金2分=2円とすれば、1円=0.249ドルとなり円安となるわけである)。
これにより失業問題は深刻となり(「大学は出たけれど」が流行語となった)、東北地方では娘の身売りが珍しくなくなった。そして、この時代に青少年期を過ごした兵や青年将校によって起こされたのが226事件だったのである。
将校らは兵の貧弱な体格やろくに勉強もできなかったという話を見聞きし、あるいは自分を食べさせるために遊郭に身売りした姉の姿を見ていたために、財閥と結託した奸臣を討つことが日本を救う道であると考えたわけだ。
世論は決起した将校らに同情的であったが、彼らが何を見て決起したのかを踏まえれば、それはいわば仕方が無いことでもあった。
教科書レベルでは、国民は政治の失策に不満を持ったために軍部に支持が集まったとしか触れられないが、その裏には経済政策の失策があったのである。


日本の義務教育や高校教育では経済学を殆ど学ばないし、そもそも経済と経営の区別すらついていない人が多いようである。
飯田泰之氏も言うように、オープンシステム、つまりリストラした社員を社外に押し付けることができる企業と、クローズドシステム、一部の効率化が失業者となって国内に留まる国との違いを理解できていないために、公的機関の無駄は民間企業では許されないものだという単純比較が大手を振るのだろう。
実際、Yahoo知恵袋をみても「100年一度の金融危機」の何が100年一度なのか理解できていない人も多いようであるし、節約すべきとか構造改革とか言う筋肉経済学に囚われている人も少なくないようなので、言わずともと言えるのだけど。