昭和恐慌について補足

経済学を覆う闇、その2 - WATERMANの外部記憶
経済学を覆う闇 - WATERMANの外部記憶
さて、先のエントリについて少々補足しておく。
それはなぜ金解禁に際して旧平価を維持しようとしたか、である。

旧平価を維持した理由

それは単純に言えば、円価値の下落を恐れたためだ。
当時の日本は現代と違い純債務国だった。
外貨建て債務を返済するためには円高の方が都合がよいということが、円を高値に維持することの理由になったのである。
当時は現代に比べ経済学が未発達(何しろケインズが「一般理論」を著す前である)であったことも原因なのだろうが、日本の経済力を維持・成長させ、債務を借り換えで凌ぐ(投資側からすれば、破綻せずに利回りがきちんと確保できる確証があれば貸し続ける理由になるのだ!)ことも可能であったはずだ。
手垢の付いた言い方ではあるが「借りられるのは信用の証拠」なのである。
とはいえ、当時は「金本位制こそが正しい姿」と考えられていたから、ある意味仕方が無いと言えるかもしれないが。

更に補足として、なぜ金解禁後、恐慌が明らかになっても利上げを続けたのか

私が昭和恐慌の問題を見直していて知ったのだが、金解禁後、円高と為替レート調整を当て込んで財閥系銀行(四大銀行と言われた三井、三菱、住友、安田)が円売り=金売りドル買いに走ったのである。
当然、その理由は為替レート調整によって円安に触れることを見越し差益を得るためだ。
これに対し当時の大蔵大臣井上準之助は「売国的行為」と非難し国内に投資資金を集めるために利上げを行ったのである。
その結果、円高不況輸出不振に利上げというダブルパンチが国内を襲うことになったわけである。

結局悪かったのは

以上のことから言えるのは、単に金解禁の時期を見誤ったということなのだ。
そしてどうも、この遺伝子は現代に至るまで脈々と日銀に受け継がれているように思えてならない。
総量規制によるバブル潰しや平成デフレ不況に対するゼロ金利政策量的緩和の遅れ、そして早すぎる金融引き締め措置など、日銀は常にタイミングを誤り続けているのである。