経済学を覆う闇

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20091003/1254531417
なぜか自然科学系の常識は概ね一般国民の中に共有されているのに、経済学的な知識についてはそこまでのコンセンサスがないように見える。これは日本特有の問題なのか、経済や特に金融と絡んだ問題については難解な部分が多いため、世界的に自然科学ほどの知識の共有がされにくいのかは定かではない。

おそらく、日本で「経済学」が一般人から遠いのは、おそらく、経済学が「商人(アキンド)の学問」と思われているからだろう。
マーシャルは経済学を「ありきたりの生活を送る人間の研究(「クルーグマンマクロ経済学」によると)」と言ったそうだが、日本では名は体を現すと言う言葉の通り、「商学」つまり商人(経営者)が学ぶものであるという先入観が強くあるのだろう。


かつて近代以前において、商業や金融業は賤業として、土を耕す農民や物を作る職人より卑しいとされたのは洋の東西を問わなかった。
経済というものの概念が未発達であった時代、物を右から左で流すだけで、また、金を貸し付け利ザヤを抜くことで儲けを出す商人や金貸しは、現実に物を作り出す者の上前をはねる者と見なされていた。


ヨーロッパにおいては、職業に邁進することも神の御心に適うとする新教派が台頭したこともあるだろうが、何より大航海時代以降から20世紀までの経済の勝利が経済に対するアレルギーを緩和させたのだろうと思うのである。
それに対し、日本は伝統的に「商」は卑しいものとされ、とりわけ武士の商業に対する忌諱は尋常ではなく、大っぴらに買い物に行くことすら憚られたという。
江戸幕府は270年の治世を通じ、幾度となく経済的な失策を行っている。
元禄時代の反映の元となった荻原重秀の経済緩和政策に対し新井白石の緊縮、田沼意次に対し松平定信の緊縮といった具合である。そしてどうも、その動機が、貨幣経済の拡大、資本主義化による商人権力の伸長を潰すという目的のように見られるのである。
その後、明治以降も、過度に経済を軽視する傾向が強いように思われる。
・・・あとは後ほど。