主人公であること、ヒーローであること Vol.4

私はジャンプマンガについて書きたいのではなくて、ジャンプマンガから読み取れる主人公像について考えたいと思っているのですが、ようやく前準備が終わったというところです。

路線変更の問題点

これまでのエントリを見ていただくとわかると思いますが、1980年代後半から90年代にかけてジャンプの屋台骨を支えた人気作品には、連載当初は人気が無く路線変更によって人気が出た作品が多いこと、そして路線変更のスタイルも大体決まっていることを説明しました。
ここからようやく私論に入らせて頂くのですが、この路線変更、確かに作品の寿命を伸ばすという点から、敵味方の配置を整理し分かりやすく読者に提示するという点から、そして何より「当たりやすい」「当たりを読みやすい」という点から多用されることになったのでしょうが、当然のことながら弊害もあるのです。
先に提示したような路線変更を行うことによる弊害、それはまず一つに、どのような導入の作品であろうと、とりあえずバトルなりトーナメントなりに持ち込もうとするため、登場キャラがなぜ戦わなくてはならないのかという理由付けが曖昧になってしまうということです。
id:tyokorataさんがドラゴンボール孫悟空について、戦いのことしか頭に無い、命の大切さを慮る想像力の無い危険なパーソナリティの持ち主であることを幾度と無く触れておりますが、孫悟空がなぜこのようなパーソナリティを持ってしまったのかといえば、作者の鳥山明先生かあるいは編集者かは分かりませんが、悟空自身が望んで戦いに身を投じるという作品展開を行うために「強い敵との戦いをワクワクして望む」という性格付けを行ってしまったからに他なりません。
ドラゴンボール初期、悟空は特段の動機もなくドラゴンボールを探すブルマの旅に同行するわけですけど、ハッキリ言って丸10年、ジャンプコミックス単行本42巻に及ぶ大作がこんな始まりかたで良いのかというほど印象の弱い始まりかたなんです。その後もしばらくはインパクトの弱いダラダラとした話が続くというか、正直、鳥山先生って話の作り方が余り上手くないんじゃ、と思ってしまうのです。*1 *2
ちなみにサンデーで連載されていた「うしおととら」や「GS美神 極楽大作戦!!」を見ると、前者は序盤から「石喰い編」「絵に棲む鬼編」などの重いエピソードを数話かけて描いていますし、後者は一話完結型のエピソードをたたみ掛けることで読者にキャラクターの行動パターンや性格設定を印象付けることに成功しています。*3
ともかく、ドラゴンボールに限らずジャンプマンガは序盤と主人公のパーソナリティに弱さを感じる作品は少なくありません。これは、人気が出なければ10話打ち切りという可能性を抱える宿命を持つことから、ストーリー展開に大風呂敷を広げたりいきなり数話をかけてキャラクターの性格を描くことができないためなのでしょうが、*4それが作品のストーリーの完成度にまで響いてしまうということについては、頁を改めて書くことにしましょう。

*1:おそらく10週打ち切りにあっても1回目の神龍まではたどり着くようにしていたのでしょう。

*2:鳥山明デビュー時の評価もとにかく絵が上手かったということのようで、業界評としても大友克洋と共にマンガの絵の水準を一段上げたと言われていますが、話作りが上手いという評価は余り聞きません。

*3:なお、私がヒーロー物マンガの手本にしたいくらいほれ込んでいる「マップス」を例に引くと、1話目でゲンは星図と宇宙船(リプミラ)を手に入れ、2話目で地球を離れ、3話目で物語最後までの敵となる伝承族との遭遇と「人」の強さと可能性を描き、4話目で伝承族反乱軍の一人ガタリオンと大切な仲間の一人ツキメと出会う、以上、物語全体のコア要素が序盤で展開されているという驚くべき導入部です。

*4:ジャンプマンガでは「地獄先生ぬ〜ベ〜」の鵺野先生や「るろうに剣心」の剣心のように、序盤から終盤まで完成された人格を持つキャラは珍しい部類です。これらは主人公が成人していることも関係しているのでしょう。