生産性について乱暴に考えてみた

いや、乱暴と言っても”魔砲美女”なのはさんゼロ魔のタバサちゃんをあれやこれやするって話じゃありません。
生産性問題についてちょっと考えてみたって話です。
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20100222/1266835666

ちゃんと説明してほしい - dongfang99の日記
少しでも海外旅行経験のある人間なら、接客態度が日本ほど丁寧でないことは誰もが経験していることだろう。とくにヨーロッパなどでは、休日は店が開いてないことは当たり前ときている。にも関わらず、「経済成長率」で日本ははかるに後塵を押している。そして、外国のほうが労働組合の組織率や発言力は強いし、税と社会保障の「国民負担率」もはるかに高い。

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20100221/1266736934
同じ時間や投入量でいかに高付加価値を付けるかと言う話か。しかしそれにしても組合が強い、余暇も多い*4先進諸外国の方がなぜ日本より儲けてるということになるのかがわからない。

http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20100204/p1
ちょいとポンチ絵を描いてみました。デービッド・リカード先生のモデルそのまんまだと思いねえ。

絵を見直したところ、利潤ではなく生産性と読んだ方が正しいね。利潤1単位をひねり出すのに必要な投下コストが大か小かということ。*1
このポンチ絵が示すのは、世間知で言う「こんなにがんばってるのに、こんなに一生懸命なのに」ってのと生産性とは直接繋がらないってことです。
逆に日本では社会保障とかの制度が十分でないために、投下コストに見合わないほどの生産性利潤であっても働かなければいけないってことだとも言えます。更に上記ポンチ絵から考えると、ヨーロッパ諸国の失業率が日本に比べ高止まりしている理由も分かります。つまり、失業率を現状より下げるためにはグラフの限界点を右に動かさねばならないのだけど、そうすると労働規制に引っかかったりこんな条件で働いてられっかーと辞められてしまうので失業率が下がらないってことだと思うのです。
また、JD-1976さんのエントリについてもこのポンチ絵で説明できてしまうんですね。
田舎の商店は商店主がコストを負担する代わりに周辺住民(消費者)が受け取る利便性は大きかったわけですけど、田舎の商店が潰れてしまうと消費者は自動車で時間をかけて大型スーパーまで買出しに行かなければならなくなった。大型スーパーは労せずして売り上げを増やすことになったわけですが、代わりに消費者がコストを負担しているわけです。この構図はヨーロッパのサービス業と同じで、低質なサービスに甘んずる(=消費者がコストを負担する)代わりにサービス業者が利潤を得られているわけです。更にヨーロッパ型の場合、もっとコストを投下して良質なサービスを提供すべきだよという考えに対しては、そんな抜け駆けはダメだよと規制がかけられていると。
そういえば、手塚治虫先生の「ブラックジャック」には、海原をボートで漂流している時に薬ビンに貯めた雨水を何十万円で売りつけるという話がありましたし、あさりよしとお先生の「アステロイド・マイナーズ」には宇宙に人や物を送ることが大変な高コストだという話が書かれていました。
追記1:これは、私が以前にも触れましたが、サービスが枯渇状態であれば見かけ上のサービス価値を高められる(=生産性を高められる)ということなんですけど、詳しいところはジェヴォンズが論じていますね。*2
上記ポンチ絵の右端の部分の仕事ほど数が多いので、この部分をバサッと切ってしまえば「見かけ上」生産性高くなるわけです。

アステロイド・マイナーズ 1 (リュウコミックス)

アステロイド・マイナーズ 1 (リュウコミックス)

追記2:絵を整理し直した。
経済学的に完全に正しい絵ではないけど、概念を整理するとこのように考えられるよ、ということです。

更に直した。

*1:1単位を売り上げるのに大型スーパーは少ない投下コストで済むのに対し、田舎の商店は投下コストが多くかかってしまう。これは仕入れコストが多く掛かるという考えでもokですし、田舎では需要が少ないので余り売れない=売れなくても帳簿付けや店番はしなくてはいけないということもあります。どっちにしろ、田舎では1単位の売り上げのために必要なコストがかさむってことです。

*2:限界効用の問題、サービス最後の1単位の価値は?ということ