藁人形に釘を打つ人々

江戸時代、医者になるのに特別な免許は必要なく、医者を表明すればその日から医者を名乗れる志せば誰もが医者という話がありました。
ヨーロッパでは中世から大学に医学部が設立され、そこで学んだ者(ラテン語の習得が不可欠でした)が内科医となり、本物の医師と認められたのとはずいぶんと違っていたのです。なお、外科の治療にあたる者は床屋医者と呼ばれ(刃物の扱いに慣れた床屋の兼業であり職人芸とされた)内科医より格下とされました。とはいえ、床屋医者の中からアンブロワーズ・パレのような整骨・外傷治療に長けた名医が輩出されたのですが。
さて、前置きが長くなりましたが、日本をおかしくしている原因の一つが、医者を志せばその日から医者ならぬ、エコノミストを表明すればその日からエコノミストという”エセ”エコノミストの存在を許している事でしょう。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10091/
だが、池尾和人・慶応大学教授は、こう指摘する。

中央銀行が本当に望ましいと思っているインフレ率の値、例えば1〜2%を示すのだったらいいが、その範囲を超えた極端なインフレ目標、例えば4〜6%を掲げても、合理的な人々が信用するはずがない。というのは、実際に4〜6%のインフレになったら、中央銀行は当然引き締め政策を採るはずだから、信用される約束にはならない。インフレ目標政策の有効性は今や否定されている」(「なぜ世界は不況に陥ったのか」)。

伝統的なマクロ経済政策は有効性を失いつつある――政府も国民も、この事実を理解し、受け入れることから、日本経済の改革は始まる。

池尾和人センセイの話は否定のための否定であるという点で既におかしいのです。それは「その約束に合理性があるか否か」という点を全く無視しているということです。
例えばこういうことです。
ある学級の成績を上げるために、テストで赤点を取った者はペナルティとして退学することという約束を結ぶことは可能かという話です。
普通なら、退学はさすがにやりすぎだ無茶苦茶だという話になるでしょうし、実際に実行に移そうとしたら大変な問題になるでしょう。ですがこれが、赤点を取った者は週2回の補習を受けることであれば、それもありだなと思うんではないでしょうか。
つまり、ある約束が信用されるか否かというのは、その約束に合理性はあるかという話なのです。
2%程度のインフレであれば合理性を認める人であっても、4%〜6%となればさすがに高過ぎると考えるのではないでしょうか。つまりこの話は、はじめから合理性の無い仮定を勝手に設定し否定しているのです。
まさに藁人形に釘を打っていると言えるでしょう。あるいは見えない敵と戦っているとでも言うのか。*1


更に釘を打つ人。

「ユニクロ悪玉論」の病理 – 池田信夫 – アゴラ
ユニクロやエイサーのような企業が、庶民の生活を苦しくしている悪の元凶ですよね」という類の「ユニクロ悪玉論」は、けっこう広く支持されてるんですね。
(中略)
これをデフレと取り違えて「日銀がお札をばらまけ」などと叫んでいる人々は、日銀がユニクロの安売りを止められるとでも思っているのでしょうか。たしかに、いま起こっている価格革命は多くの企業に事業再構築を強いるもので、愉快な出来事ではありません。しかし、かつて日本企業が欧米に低価格の自動車や電機製品を輸出したとき、彼らは同じ経験をしたのです。そのとき「貿易摩擦」を言い立てて日本からの輸出を妨害したGMは、経営破綻しました。

これも典型的な藁人形に釘です。
真っ当なリフレ論者は中国発デフレ論やユニクロ害悪論など主張していないのです。むしろ、日本以上に中国製品に依存していながらデフレになっていない国が多いことから、中国製品がデフレの原因であるという論を否定し、政府方針や指導力、金融政策の重要性を主張する人が殆どでしょう。
それに、サブプライムショック以前の数年前の一時期、ユニクロはあまりパッとしない時期が続きました。当時、ユニクロは若手デザイナーとコラボレーションするなどいろいろ手を尽くしていたものの、比較的消費が好調だったこともあり、低価格衣料は割と苦戦していました。*2
衣料はただ身に着ける物ではなく趣味性や顕示欲にも繋がりますから、懐に余裕の無い時期であれば1000円の服でも用は満たせますからそれを選び、懐が暖かければより趣味に合うもの、人とは違うものを選ぼうとする傾向になるのです。


それにしても、この手の、自論に反対する人を批判(非難といった方がいいのか)するために、勝手に論を捏造して否定し論破したつもりになるというのは何とかならないのでしょうかね。
なお、この手の話は構造改革派とされる人々に見られることが多いのですが*3Yahoo!知恵袋にしろOKwaveにしろ、二言目には非効率企業跋扈論、金融政策無効論ハイパーインフレ論、中国発デフレ論が返ってくるのでうんざりしてしまいますね。
どうもこの手の話は石橋湛山の時代、70年前から延々と変わらず続いているようです。


そういえばすなふきんさんも以下のことを指摘しておりました。

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20091209/1260314077
書店に平積みされてる「経済本」の数々についてもそのタイトルを見ただけで読む気が失せるようなものが多い。もっとも「経済本」は「経済学本」とは全く別物と考えないと間違うかもしれないが。日本のビジネスマンが日常そういう本を読み、主婦や高齢層はテレビのワイドショーの政治経済ネタを見ているとすると、この国の世論がそれなりのものになってしまうのはある意味仕方がないかもしれない。

日本ではどうも伝統的にマクロ経済学が弱いようなのです。かのJ・M・ケインズ、そしてケインズ経済学は、ハーヴェイロードのエリートを鼻にかけるやつらの論*4という批判を受けたわけですから日本に限ったことでもないのでしょうが、日本ほど、学問としての経済学、そして経済学者は難しいことを言うから鼻持ちならない、肌感覚こそが正しいという論調が幅を利かす国もないのではないかと思うのです。

*1:一般に統合失調症という…あわわっ。

*2:オタクがオタクファッションから脱出する手がかりとして「ユニ(ユニクロ)、ムジ(無印良品)、GAP」などと言われたものです。これらは比較的低価格でありながら見栄えも悪くないからです。

*3:日本において比較的マイナーな派であるリフレ派は、そのような反対論に対抗するために理論武装を続けているためか、勝手に論を捏造するということはあまり見られないようです。

*4:ハーヴェイロードの前提といって、ケインズ経済政策がうまく行くには選挙等に左右されず適切な時期に増税を行うことのできる政治、つまり賢人政治が行われなければならず、現実には政治家は人気を得るために増税を忌避し減税を行おうとするため不可能であるということ。ケインズ主義は非現実的、非民主的であると批判に使われた。