解決策は無い(高齢化する故郷を思って)

最近はエヴァンゲリオンの事ばかり書いているのでちょっと目先を変えてみようと思う。


私、盆休みに北陸にある故郷に帰った。
彼女いない歴=年齢(三十余年)という名実共に非モテを自称する私は、盆暮れとゴールデンウィークには実家に帰省するのが習慣なのだけど、帰省のたびに集落に老いと衰退の色が濃くなっているのを感じている。
まだそれなりに活力の残っている集落とはいえ、数年前に小学校は周辺校と統合され閉校となり、少なからぬ家が空家となったり取り壊されたりし、集落の運動会や盆踊りは参加者が年々年老いていくばかり。神社の祭りは行われなくなって久しく、小学校時代、皆で練習していた獅子舞はいつの頃からか行われなくなった。
それなりに賑やかな街までは自動車で30分も走れば出られるので、誰もが積極的に集落を捨てるというより出て行く理由が無いので残っているという感じ。
あるのは共同体という形の無いもの、無いのは積極的に残したい文化。だからこそ積極的に問題視しないのだろう。残したいものがあるなら誰もが必死になるはずだから。
そして若者も街に新居を構えてしまえばもう集落には帰ってこない。
自分は上京して就職したが、県内に就職した者も集落に積極的に残る理由が無い。


故郷が老いさらばえて行くのを見るのは辛い。
だが、どうにもならないというのが本当のところだろう。
10年後、おそらく故郷は残っているだろう。20年後も何とか、だが30年後はおそらく無理だ。
自分の父母、団塊世代の下が急速に減少していて、父母の世代が力尽きた時、わが故郷もかつてあった集落の一つとして記録にのみ残ることになるだろう。
まだ、残すべき文化を持つ集落は、伝えるべき伝統を持つ集落は幸運なのだ。
残すべきものを持たない集落は、ただ老い朽ちてゆくのみ。