自分はキョンが嫌いだと理解できた

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090716
 "涼宮ハルヒの憂鬱"の主人公は長門有希…ではなく、キョン、ということになっている。あの朴念仁なキャラクターは、メタな姿勢に終始しがちで、感激や情緒に身を委ねることがない。というよりも、感激や感動や夢中といった類のエモーションから逃げ回っているようにさえみえる。

2ちゃんねるアニメ板でもニコニコ動画でもはてなでも、とにかく「涼宮ハルヒの憂鬱」って評価が高いんで、以前この機会に見ておこうかと思い立って、原作とアニメ(北米版のDVD)をちょっと見た事があった。
ぶっちゃけると(批判を受ける事を承知で)、自分には合わなかったというか、なんかキモチワリイとでもいうか、背筋に虫が這うような違和感を感じて、どうにも進められなくて止まってしまった。
で、私がその時感じた違和感を、尊敬する北極に住むシロクマ氏が言語化してくれた。それが上記なんだが…


つまり、自分はキョンが嫌いだってことなんだわ。


なぜキョンが嫌いなのかといえば、自分に良く似ているからだと思う。
いや、さすがにキョンほど朴念仁でも皮肉屋?でもないし、割と喜怒哀楽が表情に出る性質だと言われるのだが、どうも、キョンというキャラクターは自分にとって嫌な面を見せられているようで、何となく胃の腑が落ち着かなくなるような感じを受けるわけ。
私は自分が割と感動屋であることを知っている。それこそ、ちょっと見するつもりで「うたわれるもの」のBlu-rayを見始めて、あれやこれやのシーンで思わずホロっとしてしまうほどの(ゲームもプレイ済みだしアニメも数回見ているってのにだ)。
ただ一つ言えるのは、自分の中にはキョンに良く似た性質があって、その冷血な部分が嫌でしょうがないってことなんだ、間違いなく。


青春時代を喪失する事は結構重要な問題になるって事が分かったのが下記。
失われた10年を取り戻す。 - しーなねこのブログ


追記:キョンって割りと熱い奴だよって話を見つけたんだけど、だとすると、コミュニケーション不全も著しいんじゃないかなあ。
喜怒哀楽を行動で表現できないタイプだよなあ。