違う物を同列に並べても意味が無いよ

2009-07-18
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090720/p2
冷静な目で見てみれば、ちきりん氏はネット万能論を主張しているわけじゃないよね。
単に「作った番組が知られずに埋もれてしまうのは嫌だ、一人でも多くの人に見てもらいたいというのが本当の気持ちなら、ネットに流すことを考えてみては?」と言っているだけだ。それに対し例によってHALTAN氏は「お前分かってねーな、釣りか?」と返してると。
このやりとりがいかにもはてな的なんだけど(何でもかんでも釣りって言っちゃうところとかね)、ちきりん氏って釣りブロガーと思われている節があるけど、良い言い方をすれば問題提起だよね。


それはさておき、例によってブクマをみるとネット動画を過大評価するなよみたいなコメントが付いているんだが、単にTVとネットの違いがTVの視聴率とネット動画の視聴回数の差に出てるに過ぎないと思うわけだ。

トラフィックの問題を引っくり返して観察

HALTAN氏がネット配信はトラフィックの問題がある、放送は無いって言ってるんだけど、これって時間軸と空間軸の交換の問題なのです。
ネットは同時に接続できるユーザーには伝送路とかサーバー性能という物理的な限界があるんだけど、代わりにユーザー一人一人に異なるコンテンツを送ることができるのに対し、放送は数百数千という世帯に異なるコンテンツを送ることはできないんだけど、同じコンテンツを多くのユーザーに見せることはできるって訳。
つまり、荒っぽい交換式になるけど次の通り。


選択可能コンテンツ×視聴可能ユーザー=一定の法則
ネット:放送
多×小≒小×多


で、これまで放送にある本質的なトラフィック問題=選択可能コンテンツの限界問題については放送局側のコントロールによって隠蔽されていたわけ。
HALTAN氏は衛星局や地上波局(のスキマ)に買ってもらおうと言っているけど、逆に言えば買ってもらえなきゃはじまんねーということな訳だ。


とりあえず放送とネット動画を表にして比較してみた。


放送ネット動画
選択可能コンテンツ数
放送スケジュール他者裁量自己裁量
コンテンツの質一定水準以上玉石混交
同時視聴ユーザー数
宣伝効果比較的大

ネット動画の価値ってきっと別のことだよね

以前、ナチスドイツ軍とヒトラーのカラーで撮られた記録フィルムがYouTubeに上がっていて、それを見たときすごく感動したんだな。
何でかというと、ヒトラーってTVで報道される時とか、大抵モノクロで撮られた議会で演説しているシーンが流れるんだよね。ああいうのを見ていると、何でこんなエキセントリックなオッサンにドイツ人は騙されたんだ?みたいな感想を持ってしまうわけ。
でも、その時見たYouTubeの動画は違っていた。
民衆の中を堂々と行進するナチスドイツ軍とか、パレードに臨むヒトラーとか、民衆と触れ合うヒトラーの動く映像(しかもカラー)を見ると、ああ、これじゃ支持を集めるわけだなあと納得してしまうわけ。
それくらい格好良くて頼もしく見えるんだな。


動画ってそういう時代の雰囲気を記録するのに最適なんだよね。
写真や文章に残しても当時の匂いみたいなものまでは中々再現できない。
ネット動画って、そういう何気ない時代の匂いを残すことができる、唯一の道具だと思うんだ。