Haltan氏の湯浅誠氏批判は歪み切っている

私は基本的に白猫黒猫論(「白猫も黒猫もネズミを捕る猫は良い猫だ」ということ)に賛成する考えなので、Haltan氏が主張する湯浅誠アナーキストだという批判には「ハァ?」としか思えない。
Haltan氏は湯浅誠氏批判に非常に長文を書いているのだけど(しかも同じ内容を幾度も再掲載し)、Haltan氏が言いたいのは、湯浅誠アナーキストであるから信用するなという一点のみなんですね。
少なくとも湯浅誠氏は自分のフィールド内できちんと生活困窮者救済の活動をし成果を上げている。彼の書いた生活保護申請のマニュアルに助けられたという人も多いだろうが、私が言いたいのは、そうやって現場で仕事をしている湯浅誠氏に対し、Haltan氏は一体何をしているの?ということなのです。

湯浅氏の抱えるジレンマ

http://59.106.108.77/HALTAN/20091020/p1
それは「正社員にもいい顔しなきゃ」「非正規にもいい顔しなきゃ」で言ってるだけ。また「岩盤」を壊すといってもその後の世界が彼には見えていない。
所詮はアナーキストだからな。

これは湯浅氏自身がジレンマであると述べています。正社員の待遇を温存する事は即ち非正規社員がいつまでも非正規であることを認めることになるが、しかし正社員の既得利権を奪取せよと攻撃したところで彼らにも立場があるのだから世論を味方につけることはできないと。そして、正社員の待遇を低くしたところで非正規労働者の待遇は一層低く抑えられることになるだろうとも言っています。あいつらは贅沢だ、もっと下げろという叩きあいが加速するだけだと。
そこで湯浅氏が述べているのは半労働半福祉という生き方を実現できる社会です。日本は余りに「働かざるもの食うべからず」「えり好みしなければ仕事はある」という常識、空気というものが強く、働いているのに食えないという現実の否定とノーといえない労働者を生み出していると。
湯浅氏はその点でベーシックインカムに一定の理解をしているのですが、現状の処方箋としてそれを用いる事はできない、なぜなら今まさに困っている人には具体的な助けが必要で、ベーシックインカムに希望を持てとは言えないからということです。

湯浅氏の考えは一貫している

Haltan氏の書く文章はやたら長くて読み解くのが面倒なんだけど、一ついえるのは、Haltanさん、湯浅さんをDISりたいあまりに支離滅裂になってますよ、ということです。

少なくとも経済成長が続いていた1960〜80年代においてはそうした新採モデル・雇用モデルがそれなりに有効に機能していたことも間違いない
2009-10-18■[床屋政談]「湯浅誠」というスキャンダル id:HALTAN:20091018:p2

という現実が全く見えていないので(あるいは見えてはいるが「そんな正社員中心のメンバーシップ・滅私奉公型雇用に依存したパターナリズム企業福祉など俺は認めたくない」という思いが何故か強固のようなので)、

湯浅氏は、認めたくないのではなく、認めているからこそ、そこから零れ落ちる人が救われない、企業都合で容易に取り上げられる「福祉」を頼りにする事は、少なくとも非正規労働者にとってはできないことだと考えているんですね。

だいたい、「岩盤」を壊す=「企業福祉」「企業丸抱えの労働者が支える家族福祉」の解体を意味するわけで、その代替としての国家(行政)福祉の拡充を求めるとすれば、それはアナーキストとしての湯浅自身が問われることになるんだ。湯浅はここを本当に理解しているのか?

アナーキストである湯浅は、そうした「国家(行政)・私企業・家族」の三福祉を再構築したいのだろうか? それとも「企業福祉・家族福祉偏重の日本社会を改め、国家(行政)福祉中心にすべきだ」と考えているのか? 
仮にそうだとして、やはり湯浅は国家解体主義者でありアナーキストである自身とこそ、まずは戦わねばならないはずだ。
2009-10-18■[床屋政談]「湯浅誠」というスキャンダル id:HALTAN:20091018:p2

湯浅氏の考える「岩盤」とは、「企業福祉」でも「家族福祉」でもないんです。
世間の空気と言うべき「怠けるな、働け」「働いてさえいれば食える」「仕事をえり好みするな」「甘えるな」といった常識みたいなもの、「企業に寄りかかれば生きていけるから滅私奉公でがんばれ」という常識を総称して「岩盤」と言っているのですよ。

企業に捨てられたら人生おしまい -日本社会の岩盤なくし「NOと言える労働者」へ | すくらむ
だから、世の中が不安定になると、「企業がちゃんと抱えてくれる社会」が良かったなと思う。企業ではなく、「社会が現在の生活の安定と将来の生活の見通しを与える」ようになればいいなとは、どうしても思えない。そういう選択肢が浮かんで消えたというよりは、浮かんでも来ない。このことも私は「日本社会の岩盤」だと思っています。
(中略)
 ようするに、「企業に見捨てられたら人生おしまいだ」「働くことは生きること」「仕事がなくなることは人間性を失うこと」という理屈が一貫している限り、「NOと言えない労働者」になってしまう。
(中略)
 「生活できない非正規労働」だったら、「生活できる失業」の方がいいと反論する必要があるのだけど、反論しないんですね。そんなこと言うと「お前は働く気がないのか」と叩かれるからです。そこが「絶対的な是」となっていて、それ以外の生き方が認められない。

「岩盤」の中では失業は存在しない事になっている。なぜなら「えり好みしなければ仕事はある」し「仕事があれば食っていける」からです。そして仕事が見つからなければ「家族を頼れ」「田舎に帰れ」となる。
湯浅氏が助けているのはそういう頼るべきものを全て失っている人たちです。だからこそ唯一平等に機能する「公的福祉」を拡充せよという主張になる。
湯浅氏が経済成長を主張しないのは彼が経済の専門でないからということと、公的福祉と経済成長は切り離して考えなければならないと思っているからでしょう。つまり、経済が成長していないから福祉は後回しだという言葉によって命を失う人の存在を目にしているからこそ、何よりも福祉だと考えているのだと思う。

追記

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20091021
面を認めないし、「『岩盤』を壊す=『企業福祉』『企業丸抱えの労働者が支える家族福祉』の解体にはその代替としての国家(行政)福祉の拡充」が必要なこともよく分かっていないんです。いや、分かってはいるけど、
■それでも経済成長はイヤだ、経済成長なき福祉社会がきっと何処かにあるに違いない!
■それでも国家解体主義と福祉主義は両立できるに違いないんだ!
とまだ信じているんですね。

経済成長と公的福祉は現実側面として別の問題なんですよ。少なくとも今の日本は、経済成長が無いから公的福祉も無しな、という主張を認めねばならないほど貧しいわけではない。
湯浅氏は福祉サイドから発言しているに過ぎず、経済成長については別の人間が担当すればよいのです。

わたくしがよく分からないのが、なんで湯浅さんをそんなにかばう人達が沢山いるのだろう、と思う。別に「反日極左」だの言う気はないのですが、上記のような経歴を見ただけで「こりゃ駄目だ」と感じるのが普通じゃないですか(爆)

だったらHaltanが湯浅氏の代わりに仕事をしなさい。