経済成長平均2%仮説を少しばかり考えてみた

にしても、「けいざい」と素早く打とうとすると「けいじあ」になってしまうのはなんでじゃろ?
さて、飯田泰之先生がしばしば強調される「ほおっておいても経済は平均して2%成長する」という仮説について、これは実証値とかなりの精度で一致しているそうです。*1
で、すなふきんさんが自己紹介で書いている、「この20年ぐらい日本はほとんど経済成長していない実感をおぼえる今日この頃。」ということについて、この2%成長仮説と絡めて考えてみたのです。
仮に、2%成長仮説が90年代以降の日本にも当てはまるとした場合、約20年の間に経済は1.5倍(1.02の20乗=1.48)に成長していたはずです。もちろん20年前の日本は土地バブルによって好景気に沸いていたわけで、当時の経済は若干上方にずれていたのでしょうが、当時私はまだ子供でしたが同級生が10人も集まればほぼ全員がファミコンを持っていたし、セガメガドライブPCエンジンといった機種、あるいはパソコン*2を持っている家庭もありました。*3テレビは既に一家に一台どころか一部屋に一台という時代に入っていましたし、自動車もやはり一人に一台という時代に入りつつあったように思います。実際、当時の若者がこぞってクルマを持とうとした背景には、女の子とドライブをするにもオヤジのクルマじゃ格好がつかないという思いがあったからでしょう。速いクルマ、格好の良いクルマが持てはやされた時代だったと記憶しています。思えばレジャーも活気があった時代でしたねえ。夏の海、冬のスキーは人が芋洗い状態でしたし。
…さて、当時に比べ現代は経済が1.5倍に成長しているはずなのです。それなのになぜなんでしょう?若者のクルマ離れ、旅行離れと言われていますが、それに対し今の若者は堅実主義なんだとかお金を持ってないんだと反論があるわけです。また、新聞が売れなくなったとかCDが売れなくなったという話があり、携帯やパソコンにお金を使うからだという話もあります。
我々の周りの品物は確かに新しくなりました。携帯やパソコンが当たり前になり、ラジカセやオーディオセットの代わりにデジタルオーディオ*4が、VHSビデオデッキの代わりに何百時間も録画できるHDDレコーダーが、フィルムカメラの代わりにデジタルカメラが、家庭の中に入り込みました。
でもですね、仮に経済が1.5倍に成長していたならば、かつてのようにクルマを買って旅行にも行き、そして携帯やパソコンにお金を使うことができるはずなのです。少なくとも80年代までは何かを買うために何かを諦めるということは無かったはずです。新しいものは高いから買えないだけで、いずれ安くなれば買えるしそう安くならなくとも給料の上昇が追いつくはず、でした。
ところが90年代に入り、そして2000年代になり、状況がどうも変わってしまったようです。
デジタル機器の性能向上は20年間で10倍100倍といった単位ではない、20年前はスーパーコンピュータと専門の技術者でなければ出来なかった処理がパソコンでできてしまう。ところが我々はそれによって具体的に豊かになったという気持ちは得られていないのです。それに対し、仮に携帯やパソコン、そしてデジタルコンテンツのためにクルマや旅行を諦めなければならないとしたら…、それは「後退」ではないでしょうか。
90年代以降の閉塞感、それは、新しいもの、新しい生活を得るためにそれまで当たり前だったものを諦めなければならない、あるいはどちらを取るかのトレードオフを迫られているためではないか、と思うのです。今の若者が言う、将来が不安だから貯蓄をしなければという言葉の裏には今消費したいという欲求の抑圧があり、それが閉塞感の原因になっているとしたら…。
経済は20年前の1.5倍に成長しているはずなのに、なんでボクらはクルマ一台を買うのにためらわなくちゃいけないんだろう。誰かこの質問に答えてくれないだろうか。

バブル期の雰囲気を味わいたければ…

一押しはマンガ「ツルモク独身寮」でしょう。社員旅行や職場仲間とのレジャー、一般職の女性社員に上司が見合いの話を持ってくるとか、会社員やってたって先見えてるでしょみたいな当時の若者の気分が描かれています。もう一つが「ああっ女神さまっ」の初期(6巻あたりまでかな?)。作者がクルママニアということもあるでしょうが、出てくるキャラが皆クルマやバイクを持ってるってのがすごい。でも当時はこういうものに憧れがあったってことは良く分かると思います。

ブコメにお答え

ruletheworld
自動車はいらない子, 自動車真理教, 昭和の亡霊, 消費は美徳(笑), 自動車の社会的費用を正しく反映すればもっと少なくなって当然なんだが。『ところが我々はそれによって具体的に豊かになったという気持ちは得られていないのです』単に時代についてこれない残念な子ということ
2010/02/28

なぜ「具体的に豊かになったという気持ちが得られないか」について。
クルマやバイクはいわば身体機能の延長であって、より速くより遠くにという人間の持つ根源的な欲求と結びついているといえます。クルマを所有するというのは、いわば超人幻想の具現とも言えるのです。*5長く、子供が憧れる職業の一つは、乗り物の運転手でした。
それに対し、デジタル技術によって得られる快感、利便性というのは、その受動性ゆえにどうしても身体から得られるそれに比べ一歩譲る劣るといえ、よく出来たゲームであってもリアルとはやはり別物であり、それはいわば、美術館にある本物の芸術作品と画集の違いに近いように感じます。これは北極のシロクマさんがよく言及しておりますけど、多くの人から賞賛を得る、承認を得るといった形を取らざるを得ないのです。
私自身、色々な理由があってクルマを買うことを断念しているので思うのですが、クルマがありさえすれば色々なところに行けるのにと思うことがしばしば。

*1:MSIMEはバージョンが上がるにつれてどんどんバカになるので、この2%成長仮説と一致しない例の一つと思われる。

*2:当時はMSXやPC9801でした。

*3:念のため、これは東京や大阪といった大都市圏ではなく北陸某県でのことですよ。

*4:なお、私はウォークマン派です。

*5:これは飛行機や船にも言える。