アニメ映画 「パプリカ」 今敏 筒井康隆 平沢進

音と映像の洪水、内容をどうこう言うのは本筋では無いような気がする。
ただ、多くの部分にスタジオジブリと宮崎アニメに対する批判、皮肉のようなものが見え隠れする。
一言で言うならば、ジブリがアニメ映画において得意とする表現を逆手にとって、アニメ表現の可能性を視聴者に叩きつけたというところだろうか。
つまり「ジブリなんぞ見てキレイだの素敵だの言ってるんじゃない。アニメはもっと自由で可能性に満ちて暴力的なんだ」とでも言うかのような。
作品後半において、高空から切り裂くように落下するパプリカが孫悟空に変身して街を掛け抜けるシーンはジブリが得意とする空中浮遊を彷彿とさせるし、となりのトトロでメイがトトロと出会う森の迷路とも良く似たイメージのシーンがある。
宮崎アニメがよくモチーフとして使う巨木を悪役に仕立てたのは少々やり過ぎだろうか。だがどうにも、このアニメを作ったスタッフがニヤニヤしながらジブリを挑発しているように思える。
音楽も素晴らしい。

平沢進の曲は情報過多で正直BGMには向かないと思っている、つまり曲が映像を食ってしまうのだが、オブジェクトが怒涛のように押し寄せる映像においてはこの情報量の多さこそ必要なのだろう。
駆け巡る音と映像を組み合わせた作品というと私はマクロスプラスを思い出す(10年も前のOVAである)。
なお、ハウルの動く城中盤において、サリマンの魔法から逃れるべくハウルとソフィーが跳躍するシーンがあるが、このあたりの魔法の演出(小オブジェクトが輪になって対象の周りを回る)の元型はマクロスプラスの地球防衛網やシャロンアップルのコンサートの演出ではなかろうか。
マクロスプラスは日本アニメにおけるコンピューターグラフィックスの利用に関する一里塚的な作品であるとも言え、決まった形を多方面から映すような手書きではパース取りが困難な作画を演出に用いている。