ゼロ成長経済は就労年齢層を絞め殺す

増税は早ければ早いほどいい。 - Joe's Labo
財政出動=バラマキ? - WATERMANの外部記憶
2009-06-25
以前、井沢元彦氏の「逆説の日本史」で、禅とは何かというトピックを読んだ事があって、禅を文章で説明することなど到底出来ないので「風景」を描くことで代えさせて欲しいと書かれていた事が印象に残ってるのね。
その話は「世尊拈花」だったかな?
仏陀が説法の際、その日に限っては何も語らず、弟子達の前に一本の花をすっと掲げた。すると一番弟子の迦葉だけがニコリと笑ったので、釈尊は「法を言葉によらず迦葉に伝える事ができました」と言ったという話。
何のことか分からない?禅問答とはそういうもの、文章で理解できるようではダメなのね。


さて、この「風景を知る」って結構重要だなあと思う。
これは以前から、特に経済問題や社会問題について、なぜこうも異なった意見が現れるんだろう、議論がかみ合わないんだろうと思っていて、しかも十年一日のような議論の堂々巡りが繰り返されるんだろうということについて、「日本を変える「知」」と「経済成長って何で必要なんだろう」を読んで納得がいった。

台所感覚の出現

社会党、現社民党は選挙の度に「台所感覚の政治」「主婦感覚の政治」を主張するのね。ま、彼らは泡沫政党もいいところなんで(8月30日の衆院選議席を持てるかすら分からないし)放っておくとしても、この台所感覚ってのに多くの人は捕らわれているんじゃないかと思うんだな。
台所感覚って、まあ最近ではアピール度は低いけれど、かつての中選挙区制の時、消費税3%を導入することの是非をめぐって旧社会党がもの凄い支持を受けて(マドンナ旋風ってのもこの時だったか?)、アブラぎったオジサン政治家は主婦の台所を知らない、これからは女性が庶民感覚の政治をするのだと、盛んに訴えられたスローガンなわけ。

台所感覚は政治のセカイ系

いわゆる「セカイ系」と呼ばれる作品群がある。
狭義においては、物語の構造において、下部構造:物語の主人公とその周辺との関係性、上部構造:世界の規律、世界の危機といった抽象的問題、が中間構造:ご近所さんから国家に至る社会、政治、経済といった散文的実体、を介すことなく直結しており、主人公の危機感や実存の問題がそのまま世界の問題につながってしまうのね。悲劇的な運命を背負わされたヒロイン(いわゆる「戦闘美少女」)を主人公である普通の少年が彼女を承認する(愛する、とか)ことで救済する、みたいな話(これを特に半径3メートルの話、なんて言ったりする)。


広義においては「世界はコントロール可能なものである」あるいは「何者かによってコントロールされている」と、「成長の拒絶、ないし否定」が基軸とされる。メタ的な作品だけど、「うる星やつら ビューティフルドリーマー」の前半部分が典型的といえる。諸星あたる以下いつものメンバーは終わりなき文化祭の前夜祭を繰り返す。ところがその世界はラムが見ていた夢の世界だったという話。循環する構造に気付いた者は皆ラムの無意識によって「終わり無きお祭り」から排除され、気付かぬ者だけが永久に続くお祭りを続けるというもの。


さて、台所感覚は政治のセカイ系化というのはどういうことかというと、つまり半径3メートルの感覚を政治に持ち込むということなわけ。
今、ちょうど8月30日の衆院選に向けて各党のアピールが行われているけれど、年金問題とか高速道路無料化とか保育所無料とか高校授業料無料とか、これっていわゆる半径3メートルの話なんだよね。
半径3メートルの問題って
(疲れた、残りは明日)