社会学者は総括が苦手

前のエントリは散らかしっぱなしでちょいと置いておくとして、日本においてネット議論が成立しない理由として、社会学系の言論人(ジャーナリスト、経済学者とかも含めるとして)は、総括ってのがすごく苦手なのね。
で、何でかと言うと、こういう人たちって戦後ずっと負け続けて来たからだと、小生は思ってる。


例えばこれは事実なんだけど、朝日新聞をはじめとした大新聞は戦前自ら軍部を持ち上げ政府の弱腰を責めるような記事を書いていたわけ。当の新聞は軍部の検閲とか言論弾圧とか言い訳をするんだけど、実のところ、そういう記事を書けば読者受けが良く売れるから積極的に書いたわけだ。
でも、商売のために書きました、金に目がくらみましたなんてとても言えない、新聞は公平正大ですと言わなくちゃ権威が失われてしまうからね。だからこそ、軍の強制で協力させられたんですという理由が必要になった。


更に時代が下ると共産主義礼讃報道がある。
例えば中国の大躍進政策文化大革命さなか、政争の血みどろのなかでも「北京は平穏そのもの」とか「人民が力を合わせているから間違いなく10年以内にアメリカを抜く」なんて言ったり、北朝鮮に上げ膳据え膳の大名旅行をして(当然政治宣伝のため北朝鮮政府が手配したのだ)「平壌にはゴミが一つも無い、物乞いも失業者もいない労働者の天国」なんて言ったりしてる(そりゃポチョムキン村だ!)。
これもマスコミジャーナリズムや当時の言論人は、共産主義国家は取材をシャットアウトしていたので現地取材ができなかったから、言論統制で自由な取材ができなかったから、なんて言い訳をするのね。


参考2008-07-05
でも上記ちきりんさんのエントリでも分かるように、1960年代くらいまでなら良かった、まだ日本に共産化の可能性もあったから。でも1970年を過ぎる頃になるともう「決まった」わけ。日本はこの路線で行ける、公害とか色々問題があってもこの路線で行けるってね。
その象徴が1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博だといえる。
でも、言論人はそれを認められなかった。「共産主義国家は終わってる」なんて認められなかったわけだ。
1980年代に入り共産主義国家はグダグダという事が明らかになっていっても、自分達の主張は間違ってましたと総括しなかった。
既に故人ではあるが小田実氏、著書「何でも見てやろう」で北朝鮮礼讃記事を書き、2000年代に作家井沢元彦氏にその点を指摘された際に逆切れしたという。
氏の主張は1960年のものだし、適当な時期に自分の主張が間違っていたことを認め総括すれば良いのに、総括から逃げつづけた結果が「ごらんの有様だよ」と。


そういう言論人が従来の論壇で議論をする分にはそれでも良かった。
一般人はその識者が過去になんて言ってたかなんて気にしていないし、寄稿文以外の著作や論文を当たる人間なんてそう多くない。ジャーナル(雑誌、新聞)も基本的に持ちつ持たれつで、執筆方針に見合う学者(御用学者)に寄稿してもらい3対1くらいの割合で異論を載せれば「両論併記」という建前を守ることができる。


でも、ネットにはそれが通用しない。


ネットは検索ボタンをワンクリックでその人が過去にどういう主張をしたか引っ張り出すことができる。
そしてこれがネットに「上の人」がアプローチすることを拒否する理由であると小生は思うのである。