誰がこんなセンスの無いことを言い出したんだろう

現実の女性に「おにゃのこ」と言った際のリスク - シロクマの屑籠

現実の女性に対して「おにゃのこ」と言ってしまうセンスは、現実の存在(メイド喫茶メイドさんとか)に対して「萌え」と言ってしまうアタマの悪さ、センスの無さに近いと思う。
個人的に言わせて貰えば、現実って二次元(オタク文化)に比べると、平均としてセンスが悪いと感じるわけなのだが。

リアルってベタ過ぎるって思わないかい?

日本じゃどうもオタク文化って「ダサい」と紙一重っつーか、いやダサいものだったんだよね。今でこそガンオタガンダムオタク)ゲーオタ(ゲームオタク)を隠さないタレントが出てきたから、多少見直されて来てはいるけど。
んでも、オタク文化がダサかったかというと、俺は違うと思ってる。

ダサかったのはオタク文化ではなくオタク自身

単刀直入に言えば、ダサかったのはオタク文化じゃなくてオタク自身だったんだよね。
色の褪せたジーパン、ヨレヨレでアニメキャラの描かれたTシャツ、ネルシャツ、ハイテクスニーカー、手入れの無い髪、お父さんが掛けているようなメガネ、リュックサック、そして大抵太っているかガリガリに痩せているという体型、これって今でもステロタイプなオタク像だと思うんだが、これはさすがに「カッコワリイ」よね。ファッションとは縁の無い人種だ。
間違いなく格好悪いわ。こんなの秋葉原にでも行かないと見ないだろうが、リアルで見ると絶望しちゃうのは確か。しかも今この手の典型的オタク像っていい年行ってるオッサンが多くて「ハゲ」「薄毛」が加わるorz。

格好良いも行き過ぎると訳が分からなくなる

井沢元彦氏は宗教について「ウィスキーはストレートだと飲みにくいが水で薄めると飲みやすくなる。宗教も俗化するほど大衆に受け入れられやすくなる」と書いていたが、これはどんなものにも適用できるね。
芸術もファッションもトンガッテいるほど受け入れられ難い、「痛い人」「訳が分からない」と言われるわけだ(現代芸術なんて一体何がなんだか意味不明、みたいな話)。パリコレとか、服としてみれば非常識なデザインがされていたりする。まあこれは「コレクション」がいわゆるコンセプトモデルだからでもあるんだけど。

リアルとオタクでは俗化度合いが違う

で、何でリアルはオタク文化よりセンスが悪いのかと言っちゃうと、形而上の概念をリアルまで降ろすには、それの持つ意味を解体し分かり易い部分のみを提示しなくてはならないから。

で、「萌え」なんだけど、本来「萌え」という単語が使われるようになったのって、言葉に出来ない心の中にわだかまる暖かい感覚、愛おしさ、魅力を感じる感覚を指して呼ぶ適当な単語が無かったことから、それらの感覚を総じて「萌え」と呼ぶようになったわけだ。
で、オタク同士は「好きなキャラを見ると、そういう感じって起こらないか?」「確かにそんな感じがするよな、分かる分かる」と阿吽の呼吸で話をしていたわけ。
ところが、そういう微妙な感覚、機微を定義するってのは簡単じゃないわけで、リアルまでそれを降ろしてくるには「萌え」ってつまりこういうことなんだよ、と説明しなきゃならなかった。
その時にオタク同士が共有していた微妙な感覚は失われてしまったわけ。
「萌えるってメイド喫茶とかのことでしょ(何が?)」みたいな、オッサンくさい感覚に翻訳せざるを得なかったわけだ。
俗化度合いが違うってのはつまりこういうこと。
リアルのセンスの悪さってのもこれ。
肉体感覚、欲求、ブランド、知名度etc、これら分かり易いものに概念を落とし込まないとリアルでは受け入れられないんだよね。

つまり「おにゃのこ」が気持ち悪いのは

これはつまりオタク文化固有の「言葉遊び」だったからなんだよね。
二次元の可愛い子に対して「おにゃのこ」と言うのは可愛さ表現の言葉遊びだったわけだ。
それを三次元に使っちゃうのは、「メイドさん萌えー」みたいな違和感が伴うわけ。

以上、俺が考えたのはこんなところ。