死刑廃止論

なぜ復讐は駄目なのか

これに対して明確に答えてくれている死刑廃止論者はいませんかねえ。
元々日本の刑法には、国民から復讐権(仇討ち)を取り上げた代わりに国家がそれを代行するという契約思想があるようです。
死刑廃止というのはその契約思想を破棄せよと云う訳で、刑法そのものを見直す必要がありそうですね。

ゆう様へ、お礼に代えて

ゆう様、弊ブログ初コメントになります。どうもありがとうございます。
長くなりそうなので本文として書かせて頂きます。

さて、この公判の場合、当初から死刑か無期懲役かという争点で争われていまして、弁護側も何とかして無期にするべく弁護を行っていたのです。
矢部弁護士のブログに詳しいのですが、この犯罪が成人によって行われたとしたら間違いなく死刑という罪でして、弁護側は

1)被告が18歳1ヶ月であること(18歳未満は死刑相当でも無期になる)
2)またそれゆえ更正の可能性があること
3)生育環境が劣悪(実母は自殺、実父は外国人の後妻を迎えたなど)だったこと

という点に基づいて情状酌量を求め、2審までは更正可能性を重く見て無期懲役という判決だったそうです。
ですが1)に関して最高裁は「考慮を払うべき事情だが死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえない」と言っています。
子供を持つお母様であればお分かりになるかと思いますが、世の中には早生まれ遅生まれということがあります。つまり子供は約1年の成長差を抱えて一つの学年に押し込まれるのです。
なぜこうなってしまうのかと言えば社会が1年単位で動いているからです。
実質7歳間近の子供と6歳になったばかりの子供が小学1年生になる。理不尽だと言うことも出来ますが、どこかで線を引かねば社会は成り立ちません。
また3)に関しても良いとは言えないが特筆するほど劣悪と言えないという判断を下しています。
事実、片親どころか両親がいないとか大変な貧乏、あるいは家庭内暴力などの家庭環境であっても真っ当に育ち立派に社会人になっている人も多くいます。
私はこういう事件の背景が、性格異常とか生育環境とか、単純に分かりやすい理由に押し込まれてしまう、そしてそれを知ることで我々がなんとなく納得してしまうこと自体が問題だと思います。